私は台東区で生まれ育ちました。そしてこの地で子どもを授かり、家族4人で暮らしています。台東区議会議員 岡田勇一郎(おかだゆういちろう)
父方の母方双方の祖父がこの台東区で製造業を営みはじめ、父は下谷山伏町(北上野2丁目)で育ち、母もまた西三筋町(三筋1丁目)で育ちました。

台東区は私にとって故郷であり、生活の基盤です。街並みや歴史、昔ながらのコミュニティ、新しい発想力など台東区は常に温故知新を大切にしてきていると実感しており、私自身がそうだったように子どもや孫の代まで「100年住み続けたい街、台東区」にしていきたいという強い想いが芽生えました。

一方で、区内で製造業と介護・学童施設をさせて頂き、その中で見えてきた経済政策や福祉政策、教育政策などの課題や、区内の友人や知人と話す中で台東区で住み生きていくうえで様々な地域課題があることに気付き、今の自分に何ができるのかを熟考した結果、区政に挑戦しました。

区議会議員として台東区民の皆様が感じる「困ったこと」や「こうしてほしいという想い」を解決・実現していきたい。

台東区が「もっと明るい豊かな社会になる」ために、台東区で生まれ育った特性を生かして、「昔から住む皆さん」と「新しく住みだした皆さん」、「赤ちゃん」から「お年寄り」までの懸け橋になりながら、台東区の皆様の区政への想いやお困りの声を区政に届け、迅速かつ最大限の改善に努めていきたい。また、40代という責任世代として、若い力も発揮しながらすべての世代を繋ぐ存在として、台東区をより前進させていきたい。

それが私のスタートラインであり、決意です。是非、皆さんのお気持ちや声を聞かせてください。

大好きな台東区の未来へ挑戦

教育・子育て支援の充実を“東京一”へ

子どもは地域の宝です。
小学生と保育園児の子どもを育てる父親として、自らが経験したことや皆様からの声をもとに、出産から子育てに至るまでの様々な課題や不便さを1つずつ解決していきます。
私はいわゆる小学校1年生の壁という、保育園に通わせていた共働きのお父さんお母さんが子どもが小学校1年生になることで時短勤務がなくなり、公営の学童保育に入れなければどちらかが仕事をやめなければならない状況を何とか打開したい。そしてその学童保育に通う時間を子どもにとってより有意義な時間にしていきたいという社会の必要性を感じ、台東区内で民間の学童保育を経営しています。
そこでは子どもたちへ英語を日常的に使用し、STEAM教育を取り入れた学習を通して、子どもがグローバル化に順応した競争力のある人材に育てていくという教育方針で運営しています。子どもたちの可能性を切り拓くのは私たち大人の役割です。その可能性を開花できる環境を創っていきます。
またボーイスカウト活動の指導者として子どもたちから学び・感じたことをもとに、学校や家庭の他に地域や子どもの居場所・学習の場作りの充実、年齢に応じた子どもへの機会の提供など、様々な視点で子どもたちへの教育環境や保育環境について考え、皆さんと共にすべての地域の子どもたちが心豊かな生活を過ごせる、『東京一』の教育・子育て環境の充実した地域を目指します。

※STEAMとは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学・ものづくり)、Art(芸術・リベラルアーツ)、Mathematics(数学)の5つの単語の頭文字を組み合わせた教育概念です。

防災防犯力を“東京一”へ

安心安全は地域の要です。
2011年東日本大震災が起こりました。私は当時仕事の都合で埼玉県の工場におりました。様々な物体が飛び、ガラスは飛散し道路は陥没する箇所も多数ありました。また交通インフラが止まり帰宅することが出来ない程の大混乱が起こりました。そして電気水道などのインフラも止まり、携帯電話の電波もつながりにくい状態が続きました。その時感じたのは自然の驚異の前では無力であるということです。そして、いざという時の為に備えが必要だということを強く感じました。

私は2007年に消防団に入団し、地域防災やいざという時の備えの重要性を学びました。
また生まれ育った北上野2丁目町会では防犯部員として、地域で見守り犯罪を未然に防ぐ大切さや一人ひとりの日々の防犯意識が地域の安全に寄与することを学びました。
ここで学び感じたことをもとに、これまで以上に地域での災害時を想定した実践的な訓練の実施や災害時のスムーズな救援システム構築、私が区長に提案し導入されたドローンなどの最新機器を利活用した災害時の対応、ハザードマップなどの災害時に有用な情報をより身近なものにするための啓発、台東区が制作した「台東区防災マップ」アプリの活用や使用法の浸透、地域防犯パトロールの強化など、地域の皆さんが安心・安全に過ごせる『東京一』の街づくりを目指します。

経済の活性化で“東京一”へ

経済の元気は地域の底力です。
私は祖父がこの地で1935年に創業した製造業の3代目です。日本の製造業は世界の技術を支えているという自負を持ち、原油高騰や経済情勢の変化などに耐えながら、私なりに舵取りをしています。
また、2001年に学生起業をした介護事業・学童保育事業の創業者として、地域に必要で地域から愛される事業者を目指し日々奮闘しています。
私は経営者としてさまざまな企業の置かれた現状をいち早く把握し、時代に即した必要な政策を区政に届け、実行していきます。
台東区はご存知の通り100年企業が多くあります。私の会社もご多分に漏れず3代目になるまでに様々な事業承継における問題がありました。歴史と伝統ある優良企業をしっかりと残していく為にも事業承継におけるサポートの充実はもちろん、これからも100年企業が増えるよう、IoTの活用支援などを行なっていきます。
そして、働き手も事業主もいきいきと活躍出来る誇りの醸成により、事業主と働き手がともに歩み続け、一層発展していく『東京一』の経済地域を目指します。

共生社会の実現で“東京一”へ

全ての人が共生出来る社会は地域の根幹です。
私は高齢化社会の現状を目のあたりにし、高齢者の皆さんが地域でいきいきと暮らす豊かな社会づくりが大切と必要性を感じ、学生起業した会社で介護事業を営んでいます。
介護で一番大切なのは、その方がどのように人生を過ごし、最期の時を迎えるのか、しっかりと未来を見据え生きがいを見つけ、そのサポートを社会でしていくことです。
健康的に生活できるQOL(quality of life)の向上をより一層推進し、健康寿命の維持・延伸を中心に施策を作り上げ、介護や福祉、医療システムの高度化を図り、区民の皆さんが健康でいきいきとした生活を送れる『東京一』の共生社会を目指します。

まちの活性化で“東京一”へ

まちづくりは地域の誇りです。
私は青年会議所で台東区委員会委員長をお預かりさせていただきました。また、北上野2丁目町会では青年部長を27歳の時にお預かりさせていただき14年間勤めました。これらの青年会議所運動や町会青年部活動から学んだこととして、社会背景から見出した地域の課題や問題点を仕組みづくりを行うことで一つ一つしっかりと解決に導いていくという手法があります。
地域での課題や問題点は地域の方々の意見を傾聴し、しっかりとしたエビデンス(根拠)を基に1つずつ解決していけるシステム構築をしていきます。
その上で、地域の方々が協同し、旧来からの互助の文化を現代にアレンジすることや、新しいコミュニティの形成など一人ひとりがいきいきと協和した社会を基礎としての「まちづくり」を推進することで、文化醸成と共にまちの活性化を目指します。
そして、地域の魅力的な文化やコミュニティなど、様々な有形無形の資源を最大限に利活用できる『東京一』の「まち」を創ります。